今日もアレ的なsomethingについてアレしていく。まおにゃすだお。
前回、祖父の冗談を学校の作文で発表し、母親にブチ切れられた話を書いた。
小学校の作文には、まだ在庫がある。
今日は、その在庫処分である。
ただ、処分と言っても、原本は今も愛媛の田舎に眠っている。
俺が忘れても、紙が覚えている。
たいへん迷惑な話だ。
*
俺は、小学生のころ、よく落ち着きがないと言われていた。
忘れ物も多かった。
「このプリントを、おうちの人に渡してください」
学校でよく聞く、あの指示。
俺は、あれができない子どもだった。
学校から家までは持って帰る。
ところが、そこから親まで届かない。
あと数メートルの物流が、どうしても弱い。
その結果、授業参観に母親が来ていなかったり、三者面談があることを親が知らなかったりした。
親からすれば、知らないところで予定が組まれ、知らないまま欠席になっている。
申し訳ない。
そんな、うっかりした子どもだった。
ただ、うっかりだけでは説明しづらいところも、少々あったように思う。
*
以前、田舎にある段ボールを整理していたときのことだ。
昔の作文が出てきた。
たぶん、小学校二年生くらいのものだったと思う。
書いた本人には、まったく記憶がない。
テーマは、「私のお母さん」。
お母さんは優しい。
いろいろなところに連れていってくれる。
お母さんのこういうところが好き。
だから、私はお母さんが大好きです。
そういうことを書く作文だ。
俺も、母親とは今も仲がいい。
思春期にぶつかったことはあるが、何も書くことがないような関係では、決してなかった。
さて、小二の俺は、お母さんへのどんな思いを綴ったのか。
そこには、こう書かれていた。
「かあちゃんひゃくえんください。おねがいいします。あいうえお」
以上である。
短い。
今でも全文を暗記している。
母親について書くはずが、母親への金銭の要求になっている。
しかも、最後の「あいうえお」は何だ。
百円をもらうための合言葉か。
それとも、「お願いします」まで書いたところで、まだ少し余白があったのか。
わからない。
書いた本人にも、わからない。
もっと書くこと、あっただろう。
小二の俺。
頼むよ。
*
段ボールの整理は続く。
次に出てきたのは、小学校の卒業アルバムだった。
当時は、クラスごとのページがあった。
好きな漫画は何か、とか。
GLAYとラルク、どっちが好きか、とか。
時代を感じる二択である。
そういったアンケートの結果が、いろいろと載っていた。
そこに、「私の好きな言葉」という欄があった。
こちらは、一人ひとりの名前と一緒に、答えが書かれている。
アンケートの集計なら、誰が何を選んだかまではわからない。
しかし、この欄は実名だ。
回答者に責任を取らせる仕組みになっている。
周りを見ると、努力、根性、笑顔、愛、勇気。
一生懸命、といった言葉も並んでいる。
みんな、立派である。
小学校での六年間を終え、これから中学生になる。
それぞれ、大切にしたい言葉があったのだろう。
俺も、もう六年生だ。
母親に百円を要求し、あいうえおで締めくくったころから、四年ほど経っている。
さすがに、少しは成長しているはずだ。
恐る恐る、三上真央の欄を見る。
そこには、カタカナで四文字。
「ピヨピヨ」
*
どういうことだ。
ピヨピヨ。
努力。
根性。
勇気。
ピヨピヨ。
一人だけ、孵化している。
当時、鳥にハマっていたのか。
鳥になりたかったのか。
単純に、響きが好きだったのか。
まったく覚えていない。
ただ、卒業するにあたって好きな言葉を一つ選び、自分の名前とともに残す機会に、俺は「ピヨピヨ」を提出した。
そして、採用されている。
誰か、途中で聞いてほしかった。
「真央、本当にこれでいいのか」と。
いや、聞かれたうえで、これだったのかもしれない。
だとすれば、もうどうしようもない。
百歩譲って、小二の「母ちゃん百円ください」はよしとしよう。
よくはないが、百円が欲しかったことはわかる。
しかし、小六のピヨピヨは、意図すらわからない。
四年間で何があった。
あるいは、何もなかったのか。
*
こういうものが、紙で残っている。
俺がどれだけ大人になろうと、どれだけもっともらしいことを言おうと、愛媛には「好きな言葉・ピヨピヨ」と書いた三上真央がいる。
しかも、卒業アルバムである。
俺の一冊をどうにかしたところで、同級生たちの家にも残っている。
プリントは親に渡せなかったのに、ピヨピヨは同級生の家庭まで届いている。
届けるものを、間違えた。
もうすぐ四十になる今も、小六の俺が何を考えていたのか、まったく理解できない。
ただ、たまに思うことはある。
鳥になりたいな、と。
的なフィーリングはいかがかな?