今日もアレ的なsomethingについてアレしていく。

まおにゃすだお。

ブログを始めることにしました。

なんで急にブログを始めようと思ったんだろう。

今年、四十になるからだろうか。経営しているエムラボが、八期目に入るからだろうか。

別に、何かが一段落したわけではない。相変わらずバタバタしている。やることなら、ほかにもある。

そんなときに、また一つ、やることを増やしている。

ただ、日々考えたことを、少し残しておきたいと思った。

会社の仲間たちや、一緒に仕事をしている人に読んでもらってもいいし、いつか自分で読み返してもいい。「あのころ、こんなことを考えていたのか」と思えるものがあれば、それで十分な気がしている。

勿論一番はギャルが読んでくれるのが大歓迎だ。

ただ、日記は続く気がしない。

毎日書くと決めた瞬間に、書いていない日が気になり始める。考えを残したかっただけなのに、いつの間にか欠席届がたまっていく。

なので、思ったときに書くことにする。

不定期更新。便利な言葉だ。始める前から逃げ道に表札をつけている。

自分にはやさしくしていく所存だお。

さて、記念すべき第一話だ。

最初くらい、自分の言葉で、気の利いたことを書きたい。

ということで、親友のポッドキャストの話を丸ごと拝借するところから始めようと思う。

自分の言葉を残すブログの第一話が、人の言葉から始まる。先行きが楽しみである。

*

親友がポッドキャストで、俺の話をしていた。

俺がAIやらコーディングやら、デバッグやらを勉強している話だ。

最初は「また流行りものに飛びついて」と思っていたらしい。

親友である。こちらの話を、最初から好意的には受け取ってくれない。そのへんの審査は、初対面の人より厳しい。

でも、そうやって冷笑されている間にも、こいつは手を動かして、それなりのものをちゃんと作っていた、と話してくれていた。

その話に出てきたのが、

「冷笑はされるべきだが、するべきではない」

という言葉だった。

これが、自分のこれまでに妙に重なった。

俺は学生時代、ダンスをやっていた。

黒いジャケットとジーンズを着た5人が、照明のあるステージで踊っている

学生の全国大会で、胸を張って日本一と言える優勝が三回ある。ほかにも、いくつかの大会で優勝した。

当時、地上波で放送されていたダンス番組『少年チャンプル』では、「大学生では知らない者はいない凄腕POPPINチーム」と紹介された。

「YOUNG GUNZ」の見出しと、3人の写真が載った雑誌のページ

社会人になってからも、会社員をやりながらテレビ番組のダンスコンテストで優勝したし、所属するチームで赤坂BLITZでのワンマン公演も実現させた。

ステージ上の人たちと、大勢の観客が一緒に写る集合写真

全盛期のAKB48が「恋するフォーチュンクッキー」を地上波で初披露したときには、バックダンサーもやったぜ。

色鮮やかな衣装の人たちと、後方の黒いスーツ姿の人たちが踊るテレビ画面

炎上したけどな。

「なんでおっさんがバックダンサーやってんだ!!!」って。

全国大会で勝っても、お茶の間ではおっさん判定である。

ここだけ読むと、ずいぶん感じの悪い自己紹介である。

借りてきた話の途中で、自分の優勝歴だけはしっかり差し込んでいる。

隙あらば自分語り。ここ、俺のブログなんで許してほちぃ。

ただ、俺が書きたいのは、その前の話だ。

ダンスを始めて三か月で、俺はもう全国大会に出ていた。

三か月で全国レベルに達した、という意味ではない。三か月のやつが、全国大会に出たのである。

この違いは大きい。

「全国大会に出た」と言うと強そうだが、申し込んだときの俺は、三か月前の自分よりは踊れる、くらいの人間である。

当然、負けた。

今振り返れば、よちよち歩きのようなダンサーだった。そんなやつが全国大会に出てくるのだから、笑われもした。

大会に出ていない先輩から、ああでもない、こうでもないと言われることもあった。

自分は挑戦していない人たちに評価されたり、求めてもいないアドバイスをされたりするのが、たまらなく嫌な時期が続いた。

こっちは踊って負けているのに、踊っていない人からも点が入る。なかなか採点の厳しい競技である。

頼んでない審査員まで、層が厚い。

それでも、出続けた。

初めて日本一になったのは、大学三年か四年のころだったと思う。

そこに至るまで、負けるたびに出場をやめていたわけではない。笑われなくなるまで練習してから出よう、と待っていたわけでもない。

下手なまま出て、負けて、また練習して、また出た。

仲間と、日本一になりたかったからだ。

ここは、自分の中では大事なところだ。

「俺を笑ったやつらを見返してやる」だけだったら、どこかで飽きたかもしれない。そもそも、あの人たちのために、そんなに練習したくない。

仲間と一緒に、あそこまで行きたい。

そのために出続けていたら、何度も負けることになった。何度も笑われることにもなった。

今は「日本一になりました」と一行で言える。

3人がトロフィーや「WINNER」と書かれたボードを持っている

便利な一行だ。その手前にあった負けを、だいたい省略できる。

下手なまま出て、負けて、練習して、また出て、また負けた。

たった一行書くのに、ずいぶん体を張ったものだ。

*

先日、八期目を迎えるにあたって、エムラボのメンバーにもこの話をした。

親友の言葉を、社長の話として。

ポッドキャストで仕入れた話も、社長が会議で話すと経営方針になる。肩書きには、こういう使い道もある。

いや、いい話だったから、みんなにも伝えたかったのだ。本当に。

俺たちは、まだまだ冷笑される側にいる。

そんな小さな会社に転職してどうするんだ、とか。

そんなことを始めて、どうなるんだ、とか。

ちみ、バカなの??とか。

そういう目で見られることもあるだろう。船長である俺はもちろん、一緒に船に乗ってくれた仲間も。

求めてもいないアドバイスや評価が降ってくる。

起業してからというもの、なぜか周りが評論家になってきやがる。

こっちは会社を立ち上げたつもりが、どうやら評論家も育てていたらしい。

もちろん、笑われれば何でも正しい、という話ではない。

下手だと言われて、本当に下手なこともある。そこは練習するしかない。冷笑に負けない精神力で、急に振り付けがそろうわけではないので。

ただ、笑われないことを優先していたら、俺は最初の全国大会に出ていなかった。

出なければ、負けずに済んだ。

その代わり、仲間と日本一になる日も、たぶんなかった。

ダンスでは、一つ結果を出せた。

ビジネスでは、まだ自分が行きたいところまで1ピコミクロンも行けていない。だから、ダンスの優勝歴を持ち出して、今の自分まで勝ったことにするつもりはない。

また、出続けるしかないのだと思う。

手を動かして、結果を見て、直して、もう一回やる。

そうして出した一つの結果が、自分たちを次のステージに連れていってくれる。その景色を仲間と見られることが、俺にとっての報酬なのだと思う。

だから、冷笑はされるべきだが、するべきではない。

笑われるのが好きなわけじゃない。できれば、感じよく応援していただきたい。

褒められて伸びるおじさんだお。

それでも、挑戦する側にいたい。

そして、次のステージに行けたら、そこでまた新しいことを始めたい。

となると、また笑われるのだろう。

せっかく一つ結果を出したのに、次の場所ではまた初心者扱いである。

また仲間と、挑戦する側にいようと思う。

今更このタイミングで、なんでブログなんだ。

冷笑する人もいることだろう。

問題は、続けられるかどうか。

この一投稿で終わったら、俺は俺を冷笑することだろう。

お題は親友のものだが、笑われるときは自分の名前で。

的なフィーリングはいかがかな?